詩篇 146章1-2節

詩篇146篇は、「ハレルヤ」ではじまり、「ハレルヤ」で終わる形をしています。この形式の詩篇はハレルヤ讃歌とよばれています。「ハレルヤ」はよく耳にする言葉ですが、これは「ハレル」と「ヤー」という意味からなる言葉です。「ハレル」は、「ほめたたえよ」で、「ヤー」は「主を(聖書が示す神です)」です。ですから、主をほめたたえよとはじまり、主をほめたたえよと終わる賛美と言えます。賛美は、誰に向けて何を告白しているのかが大事です。この賛美は、天と地つまり、全宇宙を造られたクリエイターである、聖書の示す神に向けて「私は生きているかぎり、主をほめたたえます」と告白していると言えます。主の何が凄いのか?私はかつてクリエイティブな世界にいました。自分のアイディアやイメージを具現化することには、もの凄いエネルギーと時間が必要です。また、造り出した物に破綻がないか、調和がとれているか、秩序があるか、美しいか、良いものかは、どれだけ緻密に設計したか、また細部まで想像したかといった知恵が必要です。ですから、聖書が語るように、この目に見える世界、全宇宙を創造されたとするなら、そのエネルギー、そのアイディア、そのセンス、その知恵は凄い、凄すぎるのです。それを告白しているのです。一方、この中に「私は生きているかぎり、主をほめたたえよう」とあります。これは、どんな時であっても、私は主をほめたたえます、賛美しますとの意志の告白とも言えます。これはとても凄いことです。なぜなら、苦しい時、とても賛美できないような時にも主をほめたたえるという、挑戦だからです。しかし、主はこのような苦しみの中にいる信仰者を救い導かれる方です。このことに信頼しているからこそ、私はどんな時でも賛美しますと告白することが出来るのです。