第一ヨハネ4章8節〜10節
聖書の「愛」は「恋愛」「友愛(友を思う愛)」とは区別されます。聖書の愛は、無条件で愛する愛、犠牲を払い愛する愛です。意志の愛とも言えるでしょう。(ギリシャ語で「アガペー」と呼ばれています)
「ひとり子」と「御子」と呼ばれている方はイエス・キリストです。 「罪」は神の命令を守らないこと。また、神を無視し、背を向け好き勝手に生きていることです。「なだめの供え物」は、罪人に対する神の怒りを「なだめる」為に、神にささげられる物です。
この聖書のことばは、イエス・キリストの十字架は、たんなる死刑ではなく、罪人に対する神の怒りが、なだめられる為であったと言っているのです。イエス・キリストは全ての人間の罪を背負われ、十字架にかかり、死なれました。それは、悔い改めた人の罪が赦される為でした。
このイエスは何者でしょうか?聖書は、このイエスは、神の愛するひとり子であると言います。つまり神は、人間の罪を赦(ゆる)すために、大切なイエス・キリストを犠牲とされました。この犠牲をともなう愛がアガペーの「愛」です。イエス・キリストの十字架には、神が私たちひとりひとりを愛しておられるということが表わされています。