(新約聖書)ヨハネの福音書20章29節

2018年4月1日、今年もイースターを迎えました。イースターとはイエス・キリストの復活を記念したものです。
十字架上で死に、その後、復活されたイエス・キリストは、なんと彼の弟子たちの前に姿を現されました。しかし、トマスという弟子だけは、その場所にいませんでした。
彼らは興奮して「私たちは主(イエス)を見た」とトマスに言いました。それを聞いた彼は「その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と主張しました。
この出来事から8日後、再びイエスは弟子たちに姿を現されました。そして、この時はトマスもいました。イエスは「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語り、手とわき腹を差し出されました。その時トマスは、目の前に現れたイエス・キリストが、おばけではなく、肉体をもって復活したことをはっきりと知りました。
私たちは「見ないと信じない」と言ったトマスを、理解できます。でも、私たちの周りには、見ることができない、しかし確かに存在しているものがたくさんあります。例えば「空気」。また、私たちの「感情」。私たちは以外とすんなりと受け入れています。
私たちは、どうやってイエスの復活を信じることが出来るのでしょうか?それは、聖書の証言を通してです。正確に言うなら、イエスの弟子たちが(あのトマスも含め)命がけで「イエス・キリストは確かに復活された」と証言し続けた、この「証言」が聖書に記され、今の私たちに届けられているのです。
目に見えることを信じることは簡単です。しかし、見えないことを信じることは困難です。もし、人が目に見えないイエス・キリストの復活を信じることができたなら、それは凄いことです。人間わざではないでしょう。「復活信仰」こそ、聖書の語る真の神が与えた信仰なのです。