詩篇42篇1-2節
鹿は渇くと、舌が喉にくっつき呼吸困難になるそうです。その為、鹿にとり水の流れはいのちに関わる程に大切なものです。人も鹿と同じように渇き、そして水を求めます。この渇きは水を飲めば満たされるでしょう。しかし、この詩篇42篇は、私たちが水に渇くように、神の存在に渇くことを語っています。そして、この渇きは神にしか満たすことができないと言います。
イエス・キリストは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7章37-38節)
そうです。私たちは毎日、水を飲む必要があります。私は登山をする度に、水の大切さを教えられています。山では飲む為だけではなく、食事を作る為にも水は欠かせないものです。水は蛇口をひねれば簡単に手に入ります。では、私たちの魂の渇きはどうでしょうか?魂の渇きは、神さまにしか満たすことができません。そして、イエス・キリストが語られたように、誰でイエスのもとに行き飲むなら、その渇きを満たしてくださるのです。
魂の渇きを満たすことができるのは、聖書が示す神さまだけなのです。