詩篇 24篇

この詩篇24篇は、イスラエルのダビデ王が敵の町を攻め取った後、契約の箱(神が共におられることを意味します)を招き入れる時に詠われたと伝えられています。戦いを勝利に導かれた神を覚える時となったのではないでしょうか。
この聖書のことばは、現代の日本人である私たちには無関係なのでしょうか?いいえ。そんなことはあり得ません。私たちが生きているこの時代、形は様々に変わっても「門」は身の回りにたくさんあります。
その一つは、インターネットでは無いでしょうか。「門」は、人、物、情報が出入する場所ですから、インターネットは門であると言えます。門は「人・物・情報」の出入をコントロールします。さらに、門は中にいる者の自由を確保します。この門の開閉をコントロールするのは、中にいる支配者です(お城であれば王さまです)。
私たちの身近にも、門があります。それは、部屋の扉です。部屋の扉の開閉によって、人・物・情報は出入りします。そして、門の開閉は中にいる者がします。そして、扉を閉めれば、部屋の中は自由そのものです。そして誰もが必ずひとつ部屋を持っています。それは、「心の部屋」です。
本来「良い」ものだけを通したいものです。悪や害は通したくありません。しかし、インターネットにしても、心の部屋にしても、そうはいきません。多くのものが勝手に出入りして来ます。今の時代は、門のコントロールができない時代ではないでしょうか。
詩篇24篇は、門を上げ、扉を開き「栄光の王を迎い入れよ」と言います。この栄光の王を迎え入れるとどうなるのでしょうか?
聖書には、ザアカイという金と権力を愛し、貧しい者からも奪うザアカイという人物がいました。誰もが嫌うこの人物の家をイエス・キリストは訪問しました。その夜、ザアカイはイエスの前で、これまでの生き方を悔い改め、だまし取ったものを返しますと宣言しました。イエス様はその時「救いがこの家に来ました」と言われました。ザアカイの心の扉が閉められていた時、彼の心は金と権力が支配していました。しかし、心の扉を開き、イエスを迎えた時、彼は自由にされました。
栄光の王とはイエス・キリストのことです。栄光の王をお迎えする時、真の自由が与えられます。真の支配が与えられます。真の平安が与えられます。あなたの部屋の扉を開き、この栄光の王を迎え入れて下さい。