週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。入って見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。『あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい』
(新約聖書)ルカの福音書24章1節−6節
イエス・キリストは、罪人の手に渡され、十字架に架けられ殺され、三日目に復活されました。これらはイエス・キリストが、事前に弟子たちに語られた通りに起こった事実です。イエス・キリストの死体が埋葬された墓は、アリマタヤという町の、議員(サンヘドリン)のひとりである「ヨセフ」が用意した物でした。イエスが十字架で死なれた時、彼はローマ総督ピラトに願い出て、イエスの死体を受け取り埋葬しました。本来、十字架刑に処された者の埋葬は禁じられていました。けれども、聖書で預言されていた通り、イエスはまだ一度も使われたことのない墓に、埋葬されたのです。
この一部始終を見ていた、女性の弟子たち「マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤとその他の女性たち」は、墓に葬られてから三日目の早朝(週のはじめ日曜)、亡骸に香料やアロマを塗る為、その墓を訪れました。愛する方の肉体が、死臭を放つことを、少しでも遅くするためであり、それが、彼女たちの弔いでもありました。
ところが、彼女たちが墓に辿り着くや、墓を塞いでいた大きな岩が転がされ、墓の入り口はぽっかりと空いておりました。勇敢な女性たちは直ぐに中に入り、亡骸を確認しましたが、見つけることが出来ませんでした。
予想もしない出来事に途方にくれていた彼女たちに、突然、光り輝く衣を着たふたりの御使いがこう述べたのです。
『あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです』。
彼らは途方もないことを言いました。イエス・キリストは、死を打ち破りよみがえり、そしてお墓を出てゆかれたと。イエスが、生前弟子たちに予告していた通りだと。だから、彼の遺体を、お墓の中に探すことをしても無意味だと。このイエスの復活は、イエス個人の出来事では終わりません。なぜなら、イエス・キリストは、私たちの罪の赦しのため、神との和解のため、そして私たちを「罪と死と悪魔の力」から解放するため、十字架で死なれたからです。つまり、イエス・キリストの復活は、死で終わる私たちの世界の理を、根底から新しくしてしまったのです。
お墓が人生の終わりではなく、イエスが天の御国と呼ばれたところへの入り口とされたからです。イエスは、新しい世界を開始されたのです。ご自分の復活をもって。
イエスを信じる者たちにとって「死」とは、天の御国で、神と共に永遠に生きるはじまりとされたのです。